2006.7 ~回避できない事象があるということを知る~
”明日は山荘...ヤダナー...。 (2006.7.20)"
ここで言う「山荘(学習)」とは、林間学校のことです。
私の学校では小学校3年生から、毎年山梨で行われていました。
この山荘学習が1年の中で最も嫌いなイベント。
どれくらい嫌かというと、1か月前からカウントダウンを始め、
当日の朝まで泣いて抵抗し、帰ってきたら翌年の山荘を思って嫌気がさすレベルで嫌。
主に何が嫌かというと、
・親と離れるのが嫌
・美味しくないご飯が嫌
・夜寝れなかったらどうしよう、という不安 etc...
「普段の生活と違う事をする」
というのが、当時の私にはどうしても耐えられなかったのです。
当日を迎えるまでに、私は様々な心配をめぐらし、とても疲れ切っていました。(取り越し苦労というやつ)
が、最後はまぁ諦めていくわけです。
この諦めを受容と捉えるのであれば、
精神科医であるキューブラー・ロスの「受容プロセス」に似ているものがあります。
(終末期研究の中で生まれた考え方であるため、私の山荘嫌いと比較するのはレベチではありますが。。)
①否認・隔離
1か月前くらいから、準備等を始めないといけないが、
行きたくなさすぎるのでなるべく考えないように気を紛らわせる。
(故に準備はほぼ母の仕事)
②怒り
1週間前くらいから、
「なんで他のみんなは楽しみにしているのに、自分だけ楽しみにできないのだろう」、「なんでいつもと違うことをしないといけないのか、その必要性はあるのか」等、
自分と社会の両方に対して文句を言い始める。
(聞き役の母には大分迷惑をかけた気がする)
③取引
3日前くらいから、なんとか行かずに済む方法を考え始める。
(仮病を使う、どうにかならないか神様に祈る、等)
④抑うつ
前日には、回避できないことを悟り、うつ状態になる。
(午後5時ごろにベランダから夕陽を見つめてぼーっとしていた、小6なのに)
⑤受容
親に引きずられ、仕方なく集合場所に行く。
このプロセスを繰り返し、
終わってみればどうにかなったわ、を覚え、
また一つ強くなるんですね。
何が言いたいかというと、この受容プロセスを理解し、
一つ一つの段階を確実に踏めば、苦手な事も受け入れられるようになるのではないかということです。
自分は今この段階なんだな、
時間が立てば次はこの段階が来て、
最後には問題なく終わるだろうきっと、という感じ。
そしてこの苦手を克服し、乗り越えた先に新しく見える物があると知った時、
やってよかったなという成功体験が増え、人間って変わるんじゃないかと思うわけです。
現に今は「毎日同じ事の繰り返しは嫌!」と言って
日々色々なことに手を出しているわけですから、
昔と言ってる事180度違うじゃん、何だったのあの苦労!
と小6の自分にツッコみをいれてやりたいのです。
大人になったら良くも悪くも、感情をコントロール(もしくはセーブ)できるようになるものです。
ただ、セーブしすぎると情熱に欠けたつまらない人生になりそうなので、
バランスを保ちつつ、息をしていきたいなと思います。
to be continued...